1. JARE史上初の人文社会学系研究

 開始から60年以上たった今でも、南極は自然科学に多くの発見をもたらしている。そこは氷に覆われた、一般の人には近づくことすら難しい大陸である。だが、自然科学が発見を業績としている以上、そこには多くの未知のデータが科学者に発見されるのを待っている。しかも、地球上の他の場所にはほとんどない寒冷と雪氷という環境が、そこにしかないデータの蓄積を可能にしている。たとえば、59次隊から始まった100万年のアイスコアの掘削がそれだ。南極の氷は水が凍ったのではなく降った雪が圧雪されて氷になる。その過程で降った時の大気が雪の中に閉じ込められる。氷面を深く掘れば掘るほど古い大気が閉じ込められている。大陸の山頂部(といっても高原状の場所だが)をできるだけ深く掘れば、そこには太古の大気が眠っているのだ。約3000m掘って100万年間の大気を手にいれる。そのプロジェクトが進行中である。

 

 あるいは隕石集積機構の発見である。実は私たちが日常的に暮らすこの大地にもそこそこ隕石は降っているらしい。だが、普通はそこらの地面にある石と紛れてしまう。ところが長年にわたり氷しかない場所ではどうだろう。そこに石があれば、かなり高い確率で隕石だと言える。しかも、南極のセルロンダーネ山脈付近では、流れてきた氷が昇華することによって、氷上に降り注いだ隕石が集積す

る。仮に1平方キロで10年間に一個の隕石しか降らなくても、年間20m氷河が動くとすれば、50年間で1km動くことになる。これが1万年間続けば、10000×200×0.l=20万個の隕石が集積することになる。まさに一網打尽である。日本の南極観測は、こうした1万個を超える世界最大規模の隕石コレクションを持っている。

 

 当然のことながら、こうした観測は人間によってなされる。そこには人の行動があり、暮らしを営みがある。人間の行動はすべからく心理学(行動科学)の研究対象だし、100年前のアムンゼン・スコット・白瀬の時代ですら、探検隊は複数の人間によって遂行される。そこには社会も生まれる。とすれば社会学的な研究も成り立つ。しかも、隔離された空間、過酷で致死的なリスクのある空間とな

れば、心理学的には興味深い。実際、欧米では心理学や行動科学の研究は数多く行われている。南極だけが対象ではないが、Journal of Human Behavior in Extreme Environmentという学術誌があるくらいだ。

 

 人文社会学的テーマが興味深いことは、これまでの観測隊の研究者からも指摘されていたが、観測隊の研究に位置付けられるようになったのは、第58次隊(2016年出発)からであった。それまでにも、しらせや昭和基地といった南極観測のための施設・設備といったプラットフォームを観測隊の外部研究者が利用する公開利用の枠組みがあったが、この年から人文社会学的研究も受け入れるようになった。この制度を利用し、58次隊では国際法学者で南極条約を研究対象とする柴田年穂さんが同行者として初の参加となった。また59次隊には私がリスク認知の実践知のテーマで参加することができた。

 

 これに加えて61次隊(2019年出発)に始まる第Ⅸ次中期計画では、正式研究でも人文社会学の研究を受け入れるようになり、それは公募されてもいた。そのこと自体は2016年の早い内には公表されていたが、募集は2017年の後半が想定されていた。当然、それには応募しようと思っていた。南極に同行者として出発することがほぼ決まっていた2017年の春、その関係でたまたま極地研のウェブを見た私は驚いた。秋に募集されるはずの第Ⅸ次中期計画の萌芽研究の締め切りが2日後設定されていたからだ。別の研究助成に用意していたので、計画書を書く作業自体は苦もなくできた。だが、あの時偶々極地研のウェブをみなければ、この応募はなく、当然のこととして第Ⅸ次中期計画に採用されることもなかったので、それは本当に運が良かったという他ない。

 

こうした紆余曲折によって、「リスクマネジメントの実践知」の研究は、JARE史上初の人文社会学系の正式研究課題となった。萌芽というカテゴリーは、端的に言えば「海の物とも山の物とも分からない」研究テーマである。だが、科学的な研究の全ては初期段階ではすべからくそういうものだろう。第一次隊の越冬隊長を務めた西堀栄三郎は、冬期訓練にいく途中のバスで見せられたプロジェクトXの中で、「やってみないで、だめだと決めつけるのはつまらない人間だ。」と語っていた。どれだけの結果を残せるか分からない不安を、この言葉が和らげてくれる。