12.臨死体験

 観測隊参加不可の結果を通知されてからは怒濤の一週間だった。8/11に振り返って、まだあの日からたったの4日間しか経っていないことが驚きだった。8/7、あるいは自分が南極で越冬するということで全てが進んでいる日々はもう遙か昔のことに思える。あれは幻だっただろうか?

 

 研究活動はもちろん継続する。さすがに越冬の代替は今からでは難しいが、夏期間なら代替者を出せる。8/8と8/9は、そのための事務的な対応に追われた。極地研からメールをくれる人くれる人、みんな優しい言葉を掛けてくれた。「家族を一人失ったよう」と記してくれた人もいた。そんな心優しいメールを見ていると、涙が出そうだった。忙しいくらいがちょうどよい。死にゆく人が、自分の最後の願いを周囲に告げるとこんなふうに周囲は優しく、サポーティブに接してくれるのだろう。まさに、「終活」。

 

 自分が越冬しないとすれば何ができるだろう?考えてみればやれることはいくらでもある。まず、夏期間は代替者を派遣できそうだから、そこでの研究活動はほぼ変わらずに実施できる。自惚れ半分で言えば、この分野でのインタビューで僕に代替する人材はそうはいない。代替者のトレーニングは必要だが、やってみて気付いたことは、代替者のトレーニングだと思っていた事自体が、自分のこれまでのインタビューを見直すいい機会になったということ。ひょっとすると、これまで以上に精度の高いインタビューが可能になるかもしれない。世の中、悪いことばかりじゃない。

 

 観測隊も、越冬期間中のヒアリングについても提案をしてくれた。ズームを使っての面談も可能ですよ、と言ってくれた。聞くところによると、メール・ネット環境は国内なみの南極でも、スカイプの利用は通信容量が大きいから、かなり制限されているという。ホームシックになった隊員が、データ送信などのない時間帯を使って、許可を貰って国内とつなげるとか。予めウェアラブルカメラで、現地での活動の様子を撮ってもらい、それを圧縮したものを一旦送ってもらって、僕が見てから面談すれば、かなり掘り下げたヒアリングも可能なのではないだろうか。貴重な通信容量を使うと思うと、気が引き締まる。

 

 代替者がいるということは、その人からもデータが取り放題なのだ。9月上旬の認知科学会で発表したら、「村越さん、自分の日誌とか材料にしてもいいんじゃない?」と言われたが、代替者に日誌を付けさせれば、それをより客観的な目で掘り下げることもできる。この作業は、興奮するなあ・・・。

 

 診断内容から、治癒可能なものかは分からないが、仮に治療できるなら、62次隊参加の道も残されている。そうであるなら、もっとも興味ある春先の海氷上の移動についても現地での参与観察やヒアリングが可能かもしれない。限られた期間でのデータ収集とは言え、十分すぎるくらいのデータになる。なんだか、ワクワクしてくる。

 

 隊員室に勤務の隊員の人へのヒアリングをしながら、約1年後の南極で、彼らに会えるといいなあ・・・と思った。私の代わりに最年長となったUさんと握手を交わす。