Youは何しに南極へ? もう1つの南極物語


気分は柴崎芳太郎

北アルプスの基準点(三角点)にて

 第59次南極地域観測隊の参加者は全部で99名。このうち正式な観測隊員は73名で、公開利用等の研究申請を受け入れられた同行者が26名です。観測隊員は一般には観測系と設営系に分けられていますが、観測系の中でも自然科学系の研究と定常的な観測系では、仕事の内容も参加者のメンタリティもかなり異なるように思えます。自然科学系は氷床コアやペンギンの研究などに代表されるように、「そこになにか未発見のものがある」から出かけるタイプの観測、一方定常観測は、「取り続けることに意味がある」タイプの研究で、かなり実務的な性質の強い領域です。観測隊を維持するのに不可欠な設営は南極料理人以降、極限環境における日常生活として、その面白さが認知されつつあります。また、世界最大級の隕石コレクションや72万年前の氷床コアの掘削など、自然科学系は華々しい成果で注目されています。今回は、その狭間で地味に頑張っている定常観測系をご紹介。

 

 南極に対して領土を主張する国は少なくないが、現在、領土権は一応「凍結」されています。領土権を認めるわけにはいかないが、と言ってもドラスティックに領土権放棄は難しい。南極条約によって「凍結」という「大人の解決法」をとっているのです。日本は第二次世界大戦敗戦で、白瀬矗が探検した大和雪原の領土権を放棄させられたのが幸いしてか、領土権の凍結を決めた南極条約の熱心な推進者となっています。

 

 とは言え、国家事業としての観測活動をする以上、その領域の把握は不可欠であると同時に、それが人類が全地球を把握することにも貢献しているわけです。日本も、昭和基地があるオングル島はもちろん、その周辺のリュッツホルム湾やそれより西側の沿岸部で海図を作ったり、重力観測や、地図作成、あるいは気象観測を行っています。それが定常観測業務の内容となっています。

 

 気象観測のように通年で行われ、観測内容も多岐にわたる分野は4~5名の隊員が気象庁から派遣されており、その中には今年2回目の越冬となる杉山暢昌さん(静岡大学教育学部出身)もいます。一方で、海上保安庁や国土地理院など隊員1名のみ派遣の分野もあります。派遣者は1名とは言え、昭和基地周辺を除く野外での行動は原則として一人ではできませんし、作業自体も一人ではできません。こうした領域の観測活動では「支援者募集」が行われ、時間的に織り合いの付く隊員が支援しています。

 

 日頃地形図にお世話になっている身としては、国土地理院をお手伝いしない訳にはいきません。さっそく応募したところ、快く受け入れてくれました。先日いただいた行動計画書を見ると、沿岸部での重力測定、GNSS(いわゆるGPS)による基準点測位、対空標識の整備など、地図好きには堪えられない内容ばかり。国土地理院が地図を作る現場での仕事にお役に立つと思うとワクワクします。それを知ったら、きっとタモリも観測隊に応募してくるに違いない!?

 

 対空標識の整備とは、地図の基準となる点を含めた空中写真を撮影し、地図の元になるデータを得る作業ですが、10cmにも満たない基準点そのものは写真には写りません。そこで通常は基準点の周囲に1×2mくらいの白い板を設置します。もちろん、風の強い南極では板の設置などできません。そこで、露岩に白いペンキを塗る作業を行います。「地図に残る仕事!」国土地理院はこんなところでも地図を作っているのです!その地図は下記のウェブサイトで、一般の方も見ることができます。

 

 さらによく読んでみると、「基準点新設1点」とあります。現在の地図作りでは三角測量をしないから、基準点と呼びますが、基準点とは言ってみれば三角点なのです。前人未踏の大自然に(ヘリでいくんですが)、自らの手によって地図づくりの骨格となる基準点を設置する。気分は限りなく柴崎芳太郎です。

 

 

注:柴崎芳太郎は、明治後期に、唯一空白となっていた北アルプス北部の地図作りに携わった測量官であり、登れない・登ってはいけないと言われていた剱岳に登り、三角点を設置した。この話は新田次郎の「剱岳-点の記」およびその映画化によって有名である。

(編集前のブログではGSNNになっていました。修正しました。恥ずかしい・・・)

地理院のウェブで見られる南極大陸の1:25000地形図。

http://www.gsi.go.jp/antarctic/index.html

タロ、ジロは生きていた

 観測隊・同行者の出発まではあと3週間ほどあるが、しらせは11月12日には晴海埠頭を出港してしまう。南極観測隊の出港といえば晴海で、宗谷もふじも観測隊もろともここから出港していたが、2000年頃から観測隊は空路でオーストラリアに入る。帰りも空路だから、往復ほぼ一月短縮されたことになる。かつては帰国は4月10日ごろだったが、大学の研究者にとって、3月中に帰国できるのは大きい。

 

 隊員は11月27日に飛行機で成田を発ち、2週間ほど前に出たしらせに、オーストラリアのフリマントルで追いつくのだが、昭和基地での活動で必要な物資は全て11/12の出港前にしらせに積み込まなければならない。人文系の研究者にとって、しらせに積み込むべき荷物はさほど多くはないが、野外調査への同行のための野外用品や生活用品、嗜好品・食料などの私物は段ボールで5箱程度になる。こうした私物は、自分の手でしらせに積み込む。

 

 積み込み作業の日程は、10月23日から11月6日という余裕のある日程だが、余裕がありすぎて、なかなか行く踏ん切りが付かない。時間が足りないので、自家用車で直接埠頭まで乗り付ける考えは最初からなかった。極地研が物資を送る日通の大井埠頭営業所は祝日は休みのため、送った荷物を受け取ることができない。平日に大井埠頭にいくにも日程がとりにくい。しかも、平日は観測隊の物資積み込み作業をしているので、私物積み込みの時間にはかなりの制限がある。散々考えて、大井埠頭の宅急便営業所の所止めにして、品川からレンタカーで運ぶことにした。たかだか5個くらいの荷物を積み込むだけなので、そんなに面倒なことはないはずなのだが、はじめてのことだけにドキドキしてしまう。 

 

 舷門で当直の自衛官に挨拶して、事前に配られた通りに鍵を借り受け、観測隊の区画の自室へ。観測隊から見たらおまけに過ぎない同行者の部屋にも、ちゃんとしたプラスティックの名札が着けられていて、感激。

 船室は二人部屋の二段ベッド。ここで12月から2ヶ月以上暮らすのだ。犬が自分のなわばりにおしっこをするかのように、荷物を解いて、引き出しなどに収納したい衝動に駆られたが、それはオーストラリアで乗船した時の楽しみにとっておこう。なにしろ時間はたっぷりあるのだから。艦内も一周したい衝動に駆られたが、これも乗船時にとっておくことにした。ただ、観測隊の区画は一周してみた。

 

 すると、掃除用のカートに「ジロ」と書かれているのを発見した。これはきっとタロがいるに違いない!船は線対称だから対称の位置にいってみた。「あった!」左舷側の廊下にはタロと書かれた掃除カートが置かれていた。タロ・ジロはここにも「生き」つづけている。

行ける気がしない...

 数日前、公開利用研究採用通知が来た。2年後の研究採用に向けて申請書を出していた。春からの長いプロセスの中でヒアリングも受けた。その通知かと思ってどきどきしながら開と「第59次観測隊・・・」とある。そういえば申請中なのは萌芽研究だ。これは公開利用研究だから今次隊のものだ。確かに正式採用の通知は10月と聞いていた。その通りだった訳だ。参加が文科省のページにも掲載されているにもかかわらず、本人が今頃正式に通知されるというのもおかしな話だ。それにしても、このタイミングで「不採用」だったら、えらいことだ。まずは喜んでおこう。

 

 正式の通知を受け、出発の日まで6週間を切ってしまったのだが、全然行ける気がしない。4ヶ月留守にするための様々な事前対応やら、集約してしまった授業のせいもある。おまけに秋には学内論文の締めきりやら研究助成の申請やら研究者として必須の仕事がある。そんな中でも研究準備もしなければならない。もちろん寒冷地のための装備の購入もしなければならない。大学に籍をおいて南極にいく方なら当たり前のようにこなしていることなのだろうが、なかなか新米には荷が重い。

 

 加えて大学で管理職になってしまった仕事もボディーブローのように利いてくる。日々対応はしているのだが、基本的になくなることのない種類の仕事なので、こんな仕事を代行の方に残していくのかと思うと、申し訳なく、また気が重くなる。 行ける気がしなくなる。でも行くと決めたのだから後戻りはできない。こうした種類の感情は、どこかで未練として切り捨てていかなければならないのだろう。

 いやはや、ハードルはどこまで行ってもなくならない。

 

正式決定

 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/29/09/1396759.htm

 

 隊としての準備も進み、本隊の出発まで2ヶ月、先遣隊の出発まで1ヶ月と迫った。観測隊員・同行者が一同に揃う第二回全員打ち合わせが行われた。会議の中では厳しいやりとりもある。全員がミッションに向けて真剣に取り組んでいるからこそだろう。

 

 会議のあとの壮行会(極地研の広い倉庫で行われる)で、事務の女性が近寄って改まった口調で切り出した。何か手続きの不備があったかな?ちょっと不安になる。「今日正式に決定があって、文科省のhpにも掲載されました。」一瞬何を言われているだろうと思った。さきほど、貸与品の装備も受け取ったばかり。当たり前のように南極にいくと思っていた。こうして改めて伝えられると、自分の南極行きが正式ではなかったことに改めて気づかされる。

 

 今日が最後の勤務日である極地研の白石所長が挨拶の中でこう言っていた。「皆さんが南極に行けるのも、家族や周囲の理解、協力があってこそです。」同行者というのは南極観測隊の正式の研究テーマではない。観測隊からみたらそんなおまけみたいな研究も、極地研と南極関係の多くの人々に支えられて正式決定に漕ぎ着けた。会議に膨大な書類を準備してくれる人、自分の出す書類を処理してくれる人。書類を確認して参加を正式に認めてくれた人、それを伝えに来てくれた人。もちろん、それ以前に、自然科学の研究フィールドである南極で心理学の研究ができることに気づかせてくれた人。白石所長の挨拶を聞きつつ、それら全ての人への感謝の気持ちが去来した。

 

またやってしまった・・・

 

 南極行き最後の難関であった健康診断の判定結果が返ってきた。所見はついているが、合格とも大丈夫とも書いていない。隊員や同行者を決定する最高機関である南極地域観測統合推進本部に同行者として推薦することが書かれていたので、パスしたということなのだろう。

 所見がついたのは、γ―GTP等だった。いくつかの項目が静岡ではできないと分かってから、東京で健診を受けることにした。どうせ東京にいくなら、ついでに11月開催の東京アーバンアドベンチャーの調査もしてこよう!7月上旬の日曜日に調査、月曜日に受診という予定を設定した。アーバンアドベンチャーは東京の世田谷を中心とする約19km。それを古地図で回るから実走25km。天気もよくて、くたくただったが、「里山」を走った楽しさと心地よいトレーニング後の疲労感が残った。

 

 やや!?前にも似たようなことがあったぞ!人間ドッグの前の日に、うっかりスピードトレーニングをして、くたくたになったのだ。その時もγ―GTPの数値が悪くて経過観察になってしまった。問診を受けた医師は「関係ない」というが、どう考えても激しい運動の影響だ。練習後は近年ないほどに疲労困憊で、「ハードトレーニングした!」っていう充実感でいっぱいだった。

 

 かつて現役選手だったころは人間ドッグを受けると、血液系の所見がいくつもついたが、骨折して3ヶ月間ハードなトレーニングができなくなっている時には、異常所見は一切みられないということがあった。今回の所見は、ハードトレーニングができる身体になった。身体がそれに応えてくれているのだ、とポジティブに捉えておこう。

 

 問診票に書いたうつの治療歴は問題にならなかったようだ。もう10年近くも前のことだしね。南極では冬(日本の夏である6月)に終日太陽がでない極夜があり、そのころに隊員のうつ傾向が指摘されてきた。これはどの国の基地でも見られるようで、「Over winter syndrome」として研究対象になっている。越冬隊員であれば、なんらかの再確認があったのかもしれない。

 

 かくして、一応全てのハードルがクリアされた。やれやれだ。まだまだ準備の日々は続く。寒冷地に向けての様々な耐寒装備はもちろんだが、過酷な環境の中での行動観察や記録がうまくいくかについても事前にもう少しシミュレーションが必要だ。行く前に疲労で倒れないことか・・・。まだまだハードルは続く。

 

(写真は5月の時の調査の様子から)