11. 過酷な環境

健康診断の結果が、実は8月上旬に伝えられていたのだが、9月上旬になってようやく正式な通知がきた。8月に伝達を受ける時、直接会ってお伝えしますからと言われたのだから、いい知らせの訳がない。案の定、越冬はおろか夏隊参加も叶わずという結果となった。

 

 健診の結果は、腎臓内科、泌尿器科ともに(1、2年という)短期には問題ないだろうという診断だったが、循環器でひっかかった静脈の怒張が問題であった。なにしろ原因が分からない。医師は動静脈がつながっている可能性があるというのだけど、素人的には「そんなことあるの?って印象だった。原因はともかく静脈に血流の阻害要因があれば、血栓症発症のリスクがある。医者からも褒められるサラサラの血液と運動がひょっとしたら、自分の健康状態を保ってきたのかもしれない。それでも発症リスクがあることは間違いない。日本なら救いようがあるが、外界との物理的な接触のできない越冬期間中はもちろん、夏期間でも救いようがない。リスクマネジメントという観点から見た時、南極が過酷な環境だという理由の一つがそこにある。「しらせを全速で飛ばしてもケープタウンまで4~5日かかりますから。」助けられないかもしれない一人の病人のために、観測上のミッションは全てキャンセルになるだろう。スペースサバイバル「マーシャン(邦題はオデッセイ)」で、次の火星探索機がミッションを放棄して火星に取り残された主人公を救いにいくシーンを思い出した。

 

 残念だという月並みな思いはあったがそれ以上の感慨はなかった。今回の越冬は、そもそも2017年に、私が極地研の公募に応募し、萌芽研究観測として採用された「過酷な環境におけるリスクマネジメントの実践知の解明」のデータ収集のためのものだった。これは、60年を超える日本の南極観測でも初めての人文社会学系の正式研究である。心理系の研究は世界的にも多く行われているが、認知・行動科学系の研究としては世界でも先進的なテーマだと胸を張っていえる。このような研究が自分の関与で進められることに誇らしく思う。研究者としてはそれで十分だった。それに、個人としてのミッションは既に59次の同行で完遂していた。

 

 今回の結果は、「お前はただ南極で生活がしたいだけなのか?それとも世界をリードする研究をしたいのか?」という神の問いかけなのかもしれない。あるいは、「おまえは日本に残りなさい」と神が言っているのかもしれない。この数年、数々の「不運」を引き当ててきた。運命の女神は11歳だ。僕への好意をうまく表現できないので、そんな「不運」を与えてくれるのだろう。今回もまたそう思えるだろうか。それは結局自分の振る舞い次第なのだ。

 

 私が今次隊に参加できなくても研究活動は継続される。私自身も体調を整えて、来年度の観測隊参加にチャレンジする可能性がある。航空機での南極入りの可能性も含めれば、観測隊で比較的リスクの高い春先の海氷上での活動についても、データ収集ができるかもしれない。むしろ科学的研究の進展という観点からは研究主任が日本に残っている状況で何ができるか、それを考えることにこそ意味があるかもしれない。既に自然科学では私のような年代の研究者が越冬することはまずない。一つには独法化以後、大学と研究者の社会に余裕がなくなり、1年を超える期間を社会的接触なしに過ごすことが研究者と言えどもできなくなった事も挙げられる。また自然科学では、データ収集方法は確立しているので、若い博士課程の学生にD論執筆を兼ねてデータ収集に活かせるという方法論が確立しているせいかもしれない。負け惜しみ的に言えば、これで人文社会学系の研究のいっきに自然科学に近づいた!?

 

 日本でできることは、考えらればいくらでもある。そしてそれを考えることは、すなわち領域のデータ収集の技術を高めることに貢献する。それはそれでワクワクすることではある。宇宙船を打ち上げてしまえば、地球からできることは限られている。観測隊出発までの日々はこれまで以上に忙しくなるだろう。

しらせの観測隊公室で「マーシャン」を観る。