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山岳遭難を考える

1990年の半ば以降、山岳遭難の件数は毎年のように「史上最悪」を記録している。7月上旬に20年度の山岳遭難の状況が発表されたが、これも「過去最悪」。特に147件の件数上昇は、少なくともここ10年で最悪の伸びでもある。死亡者の数も史上最悪だが、これは10%は増えていないので、やはり、軽微な遭難が増えたのだろう。

 

 道迷いは39.8%に達してしまった。実は増加数のほとんどが道迷いによってもたらされている。講習会から啓発活動、遭難対策協議会への協力など様々な活動を行なっているが、蟷螂の斧とはまさにこのことだ。もっとも、遭難数はもともと%でも1/3の山菜採りが実数ですら増加数が多いことを考えると、道迷い遭難の増加は、山菜採りによってもたらされている可能性がある。このあたりの事情は、論文にまとめつつあるので、近いうちにアップしたい。

 

 昨年の状況が発表される一方で、この一月の動きを見ていると、今年の遭難は遙かにそれを超えそうな予感がある。富士山の落石事故は「運が悪かった」と思えるが、その直前にあった、幼稚園児と引率者の滑落事故、大雪山系の高齢者の大量遭難などは、道迷い遭難ではないが、明らかに引率者の技量の問題が大きいと思われる。もっとも、大雪山系のツアー登山の問題点なども、ガイドだけを責めるのは、航空機事故の責任をパイロットのみに押しつけるようなものかもしれない。JR尼崎線での事故が起きた時、その異常な運転行動もさることながら、そのような状況に陥らせるJRの企業風土も俎上にあがった。被害にあった方には気の毒としかいいようがないが、「ツアー客」一般という視点で見れば、ひょっとすると責任の一端はあるのかもしれない。ガイドに対して「俺は金払っている客だ」という高飛車な態度を取ったり、行程からの遅れに対して過度に敏感になったとしたら、ガイドが登山上の注意に対して厳しく注意することを躊躇するような雰囲気が生まれるかもしれない。ツアー登山の問題を考えるなら、問題をガイドの技量だけに矮小化させず、そのような社会構造的な問題にも目を向けるべきだろう。