· 

トムラウシ遭難検証記事を見て

この夏最大の山岳遭難であるトムラウシでのツアー登山の遭難についての検証記事がヤマケイの10月号に掲載されていた。気象遭難とも言うべきこの遭難は、専門領域外ではあるが、遭難の背後にある複雑で多元的な要因がどの程度検証されているかに興味を持って分析してみることにした。 

 

4つのパートからなるルポ・インタビュー・検証記事等から、遭難原因やそれに関連すると思われる事項、あるいは遭難やガイドのあり方に関するべき論などをラベル化し、パワーポイントファイルの上で、KJ法的に整理をしてみた。その結果は村越のhpに掲載予定。 直接的なものとして大きく二つの要因が指摘されている。一つは悪天候(強風)である。高山での悪天候で怖いのは、実は雪でも雨でもなく強風であるという指摘も紹介されていたが、この日のトムラウシは局地的に台風なみの強風に見舞われていたようだ。もう一つの要因が個人的要因である。ある女性が前日から体調不良で、結局この人が最初の行動不能者になったこと。あるいはスキル、装備やその利用など、どんな登山にもあるが、良好な条件下では大きな分岐点にはならない要因が、悪天候と相俟って、遭難の最大の原因である低体温状態につながったと思われる。 

 

ガイドや旅行会社の体制についても、指摘が見られる。ガイドの行動の問題は、事前の判断とオンサイトの判断の二つに分けることができる。事前の判断については、悪天候の中で歩き出したことを問題視する指摘もあるが、同時に、その日の気象条件に対する認識をガイドが持っていたことや、「今日は強く注意することがあるかもしれないが勘弁してくれ」「巻き道を通って(トムラウシ山頂には登らないで)降りる」といった安全を配慮した判断があったことも紹介されていた。事前の判断については、十分ではないものの、ガイドは一定の危機感を持って臨んでいたとおもわれる。 

 

一方でガイドのオンサイトの判断は、地味であまり取り上げられることがないが、実は大きな要因ではなかったかと思われる。行動食や衣服の重ね着の指示、最初の段階でかなり時間が掛かっていることが分かっていながら引き返す判断をしなかったり、低体温症の兆候を見抜くことができなかったのではないかといった指摘が多数あった。 

 

一般的に考えて、事前の判断は、時間的にも余裕のある中で、比較的整理された情報によってなされる。マニュアル化や講習等で学習しやすい部分である。それに対してオンサイトの判断には、錯綜して得られるその場その場の情報に対応して適切な判断を下すことが要求される。しかも、オンサイトであるから、それまでの決定を覆す判断となることが多い。出発して1時間で引き返すという判断もそれに当たる。こうしたオンサイトの判断には、強い決断力が必要とされる。これらははなかなか定型化された学習になじみにくく、ガイドの経験や力量が要求されると思われる。こうした面でのガイドの資質やその向上についての議論は不足しているように思われる。 旅行会社のプランについては、特別無理のあるものとは思えないとか、装備リストもきちんとしているという指摘がある反面、緊急時や停滞への対応が可能なのかという疑問も呈されている。この点はおそらく捜査中であり、当事者からの情報も得られていないのだろう。旅行会社の問題に関しても、ガイドの問題と対応してオンサイトの判断をサポートする体制だったかという点には疑問が残る。会社の体制や考え方がガイドのオンサイト判断にどう影響したのか、どのような体制がガイドのオンサイトの判断を指示するのかといった点については、記事の中で十分に検証されているようには思えない。 

 

社会的背景についても、つっこんだ議論は不足している。多くはツアー登山に関連する二人の識者の対談において触れられているが、彼らの発言には「楽しみと危険(があること)を業界全体で啓発すべき」「山登りは我慢が必要だが、我慢しすぎると危険」「(ツアーでも)参加者に自己責任がないとは言えない」といった、ツアーにおいても一定の登山界のルールが適用されるべきだという意識が見える。その反面「旅程保証義務と安全配慮義務では安全配慮義務を優先すべき」という発言もある。また、検証記事では「限りなく100%に近い安全保障を」という羽根田氏の主張も紹介されている。 

 

検証記事の中では、ツアー登山に対する二つの異なる考え方についての吟味がなされていない。しかし、この点は今後のツアー登山のあり方を考える上では非常に重要なポイントだと思う。たとえば100%に近い安全保障、と言うが、鉄道や一般の運輸業者とは違って利用者の自己責任を全く考えない登山はありえない。ガイドレシオが1:1でもないかぎりガイドは参加者を背負って下山することはできない。となれば、想定される気象条件下で行程を歩けるだけの体力維持や、その行程にふさわしい装備の準備は参加者が自己で対応しなければならない領域だろう。一般的にはそれ「自己責任」と言われるものだ(ちなみに筆者は、一般に使われる「自己責任」という言葉はかなり誤った意味で使われるのでなるべく使わないようにしている)。

 

では、「自己責任」はどの範囲まで及ぶのだろうか。悪天候に対応して、すばやく重ね着したり行動食を適宜とって行動力を保つことは自己責任だろうか。もしそうだとしたら、ガイドのオンサイトの判断ミスのうちの大部分は、参加者自身の判断ミスとなる。「自己責任」という用語一つとっても、その範囲を明確にしなければ、参加者とガイドが協同して安全を確保することはできない。 記事では全く触れられていないが、ツアー登山利用者という社会集団についての言及はほとんどなく、「全くお任せという人はいない」というくらいの指摘であった。しかし、ツアーが商業行為であり、お客あって存在する以上、ツアー登山の問題を考える時にその利用者はツアー登山の現状を規定する要因から排除することができない。この点について、出典は忘れたが、危険学を提唱する畑村洋太郎はJR尼崎線の事故に言及して、乗客も鉄道会社のスピード重視に影響している要因として考える必要があるのではないかといった主旨の発言をしていた。この点は、ツアー登山にも当てはまるのではないかと思う。強行日程の登山が成立するのも、ツアー会社が旅程確保義務を重視しがちなのも、それを望む利用者がいればこそだろう。 

 

航空機事故の世界(特にアメリカ)では、だいぶ以前から、「悪いのはパイロットの操縦ミス」といった特定の個人に責任を「押しつける」事故調査から、システム全体として事故の原因を洗い出し、パイロットにミスをする傾向があるなら、それをサポートするシステムの問題も含めて考える事故調査へと考えがシフトしている。少なくともツアー登山の遭難分析には、そのようなシステマティックな分析が必要とされているだろう。