写真を使った地理の授業

 教育実習研究授業の季節がやってきた。僕が赴任した20年前ごろは、「卒業検定、さあがんばるぞ!」といったハレの気分があったが、最近は淡々と課程をこなしている感じになったのは寂しい限りだが、研究授業の見学は、普段学校に出かける時間の少ない大学教員にとっては勉強の場でもある。

 

 5/27日に見た授業は中学校1年の社会科で、世界各国の写真を見て、それがどの国だかをグループで当てようという地理の授業だった。センター入試の地理でもおなじみの問題である。この日の授業が変わっていたのは、他のグループの考えを聞く時間が取ってあった点である。マーケッティングディスカッションという手法なのだそうだ。

 

 こういう活動はえてして子どもは熱心に取り組む。それと同時に表面的な参加感だけは高まるが「結局何を得たの?」という活動になりやすい。国を当てるという表面的な課題だけでなく、それを通してどのような技能を身につけるのかという教員としての「裏課題」がなければならない。授業をした学生も、「判断の根拠をできるだけたくさん挙げてほしい」、そこまでは気づいていた。

 授業後の反省で指摘したのは、第1に、視点の多様性と同時にそれぞれの視点の信頼性について考えるきっかけになっていただろうかという点だった。フォトオリエンテーリングでも、風景から様々な情報を読みとることができるが、「地図上の場所を判断する」という文脈からすれば、あまり信頼性のおけない情報に目を向ける人も少なくない。情報は同じように拾い出すことができるが、どれが信頼できてどれができないか、という感覚は重要なものだ。

 

 第2に自分たちが迷った写真について集中的に情報集めができていただろうかという点だった。子ども達は熱中しながらもメリハリをつけずに、5組全ての写真について同じように情報収集していた。現実生活だったらどうだろう。「ここは迷っていて、僕らは**と思うんだけど、どうして君のグループは**だと思うの?」と聞くと思う。そういう能動的なリサーチへの指導があってもよかった。複数の選択肢に対して、検証の失敗は、やはりフォトオリエンテーリングや実際のオリエンテーリングの現在地把握でも見られる。

 反省会を終えて、あらためて自分の視点はほとんどフォトオリエンテーリングから生まれてきたものだと気づいた。写真から国名を当てるというのは、考えてみれば究極のフォトオリエンテーリングなのだ。