実践と研究の狭間で

「釜石の奇跡」という新聞報道には違和感を抱いてきた。ある防災の専門家も、「あれは奇跡ではなく必然だ」という。実際朝日新聞の記事によれば、学校管理下での児童/生徒の死亡は大川小学校を除くとほとんどない。数見氏の「子どもの命は守られたのか」(かもがわ出版)でも、欠席等の児童の死亡を含めても一般住民の1/8程度にすぎない。全体としてみれば、学校はよく児童・生徒を守ったといえるのだ。 さらに「あら探し」をすれば、釜石の実践も、片田さんが構想したことができなかったという意味では失敗事例なのではないかとさえ思う。理由は学校管理下になかった生徒の死亡だ。学校管理かでは誰一人亡くならなかったが、当日病気等の生徒5名が死亡・安否不明である。4人は欠席や早退、ひとりは避難後に家族と合流してから行方不明。この結果は、片田さんが目指したような「自分の命は自分で守る」が教育として徹底していなかったことの証とも言える。より正確にいうなら、その教育は「学校」という場でのみ有効であった。生徒は、「学校管理下だから学校で習ったように行動した」のかもしれない。片田さんは、本来このことを乗り越えたかったはずなのに。  休んでいた子どもはどのように被害にあったのか。被害に遭った割合はどの程度なのか、その検証が片田実践を乗り越えて、学校にいようがいまいが「自分の命は自分で守る」子どもを育てるためには必要なのだ。
31:数見隆生 (2011) 子どもの命は守られたのか:東日本大震災と学校防災の教訓 かもがわ出版...
 センター入試の地歴と公民の問題冊子配布で7000人近い受験生に支障が生じたという。入試監督という末端業務に携わったものとして、またエラーの心理過程にも興味を持つ研究者として、ミスはどうして起こったのかを考えてみたい。...
久しぶりに五厘刈りにした。刈ってから初めて、評議員をしている近隣の小学校にいった。試しにサングラスもして、校内に入り、学生との待ち合わせの時間があるので、10分ほど校内をうろついた。直接僕を見たのは2名だったが。...
原発の事故のニュースを見ていて思うのは、現状については比較的ちゃんと報道されているようなのだが、今後どうなるか、特にリスクがどう変化するかについての具体的な報道がかけているように思う。...
 「ビヨンド・リスク」という世界のトップクライマー十数人に対するインタビュー集を読んだ。彼らの中には危険なフリー・ソロで大岩壁を登るクライマーも少なくない。その彼らの多くが口にするのが、「自分は臆病だ」「用心深い」という形容詞だ。題名と一般のイメージとは裏腹に、彼らは決してリスクを越えない。しばしば彼らはリスクや状況をコントロールしているという言葉も発している。これらは自然の中でリスクの多いナヴィゲーションをしているナヴィゲーターの心性とも似ていて興味深い。  さらに興味深いのは、その一方で、彼らはクライミングの持つ未知の要素や危険が彼らを引きつけているとも言う。リスクには本来未知の要素から生まれる不確実性が含まれているはずであり、それは状況をコントロールしているとは概念的に相反する状態のはずである。主観的にそれがどのように折り合いがつけられているのだろうか。残念ながら、本書にその答えはない。その答えを探すことは、リスクに対する人間の考え方を理解するための重要な問いとなることだろう。
卒論生と共同で、小学校での危険認知の授業を行った。4-5人の班で校内を20分間周り、危ないと思う場所、なぜ危ないかを探しだし、クラスでまとめて、どこがなぜ危ないか、どうしたらいいかを考える授業だ。  最初の動きが緩慢としていたので、危ない場所がしっかり発見できるかどうか、やや不安だったが、多い班で10個近くを見つけてきた。...
 野外活動の授業では、授業開始前にツールボックスミーティングを行う。活動場所の地図を見せたり簡単に口頭で説明をしたあと、1分ほど、どんなトラブルの可能性があるかを考えてもらう。とにかくリスクに意識を向けてもらおうというねらいだが、始めて行う活動も多いので、彼らの中からリスクの指摘が少ないのは、まあ仕方ないのかなとも思う。...
養護教員の研修会の講師として、某学校にいった。テーマは危機管理。せっかく校内にいるんだから、遊具の点検しましょう、というノリになって、校庭にでた。危機管理という視点で校庭に出てみると、意外と気になるものがごろごろ出てくるものだ。...
仕事柄、学校の養護教員から相談や研修の講師を依頼されることが多い。昨今、学校(というよりも社会全体か?)の安全意識が高まり、児童・生徒の安全確保は学校の火急の課題となっている。その一方で、発達段階途上の児童・生徒、体育や遠足のようなハザードに満ちた環境の中での活動など、学校の環境は安全という点でははなはだ心許ない環境でもある。児童のけがや疾病を最前線で見ている彼らは、時に安全意識の低い教員に対してのいらだちを感じることもあるそうだ。研修の相談に来た養護教員の代表から、そんな話しを伺った。  昨年から今年にかけておつきあいした小笠地区の養護教員の研究会は、その意識を元に管理職から学校教員全体までを巻き込んで、事故やけがの対応だけでなく、その予防まで幅広く取り組んだ希有な例である。しかし、全体としては彼らの心配の種はなかなか解消しない。研修会に向けていただいた「質問」のいずれも答えることが難しいものばかりだ。知識がその一つの解決手段になることは間違いないが、それだけでも不十分だろう。リスクに対する原理的なスタンス(一種の哲学)の確立が教育界全体としても必要なのだろう。

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