11. タロ、ジロは生きていた

 観測隊・同行者の出発まではあと3週間ほどあるが、しらせは11月12日には晴海埠頭を出港してしまう。南極観測隊の出港といえば晴海で、宗谷もふじも観測隊もろともここから出港していたが、2000年頃から観測隊は空路でオーストラリアに入る。帰りも空路だから、往復ほぼ一月短縮されたことになる。かつては帰国は4月10日ごろだったが、大学の研究者にとって、3月中に帰国できるのは大きい。

 

 隊員は11月27日に飛行機で成田を発ち、2週間ほど前に出たしらせに、オーストラリアのフリマントルで追いつくのだが、昭和基地での活動で必要な物資は全て11/12の出港前にしらせに積み込まなければならない。人文系の研究者にとって、しらせに積み込むべき荷物はさほど多くはないが、野外調査への同行のための野外用品や生活用品、嗜好品・食料などの私物は段ボールで5箱程度になる。こうした私物は、自分の手でしらせに積み込む。

 

 積み込み作業の日程は、10月23日から11月6日という余裕のある日程だが、余裕がありすぎて、なかなか行く踏ん切りが付かない。時間が足りないので、自家用車で直接埠頭まで乗り付ける考えは最初からなかった。極地研が物資を送る日通の大井埠頭営業所は祝日は休みのため、送った荷物を受け取ることができない。平日に大井埠頭にいくにも日程がとりにくい。しかも、平日は観測隊の物資積み込み作業をしているので、私物積み込みの時間にはかなりの制限がある。散々考えて、大井埠頭の宅急便営業所の所止めにして、品川からレンタカーで運ぶことにした。たかだか5個くらいの荷物を積み込むだけなので、そんなに面倒なことはないはずなのだが、はじめてのことだけにドキドキしてしまう。 

 

 舷門で当直の自衛官に挨拶して、事前に配られた通りに鍵を借り受け、観測隊の区画の自室へ。観測隊から見たらおまけに過ぎない同行者の部屋にも、ちゃんとしたプラスティックの名札が着けられていて、感激。

 船室は二人部屋の二段ベッド。ここで12月から2ヶ月以上暮らすのだ。犬が自分のなわばりにおしっこをするかのように、荷物を解いて、引き出しなどに収納したい衝動に駆られたが、それはオーストラリアで乗船した時の楽しみにとっておこう。なにしろ時間はたっぷりあるのだから。艦内も一周したい衝動に駆られたが、これも乗船時にとっておくことにした。ただ、観測隊の区画は一周してみた。

 

 すると、掃除用のカートに「ジロ」と書かれているのを発見した。これはきっとタロがいるに違いない!船は線対称だから対称の位置にいってみた。「あった!」左舷側の廊下にはタロと書かれた掃除カートが置かれていた。タロ・ジロはここにも「生き」つづけている。