13. 壮行会

 

 大学院生だったころ、偉い先生のお供で、学会の重鎮が揃うシンポジウムに行った。会場は大学とか公共施設ではなく、明治記念館。世間を知らない大学院生は、敷地の門のところにドアボーイが立っているだけで、「おーっ」てなる。南極地域観測統合本部主催の壮行会は、その明治記念館で行われる。華やかな宴会場で防衛大臣と文科大臣が壮行の辞を送る。宇宙にでも行きそうな勢いだ。

 

 本部主催の壮行会は11月7日。それに前後して壮行会てんこ盛りの2週間が続いた。11月2日には、観測隊OB主催の壮行会が行われた。レジェンドという言葉がふさわしいOBさんの講演を聴いたり、おしゃべりをしたり・・・。伝統ある大学運動部の先輩諸氏から喝を入れられている気分だ。翌3日には、アウトドア仲間が壮行会を開いてくれた。昼間は明治期の古地図を使って都内でオリエンテーリングイベント。もともと置き土産として昼のイベント中心で準備を進めていたので、夜の壮行会にも80人も残ると聞いてびっくり。高校の時からのヒーローだった杉山隆司大先輩に乾杯の音頭をとってもらい、彼と世代交代した1980年代のことを思い出した。

 

 学生たちも、それぞれの所属に応じて壮行会を開いてくれた。毎年年末には研究室の忘年会をやる。今年はそれができないので、早めの忘年会も兼ねて壮行会をしてくれることになった。参加する学生には隊の記念品を配ろう。前日に参加数を聞いてびっくり。研究室所属学生は5人しかいないが、参加するのは30人だという。研究室配属の決まっていない1年生から、卒論真っ盛りの4年生まで集まってくれた。さながら退官記念パーティーのようだった。彼らにとっての疑問は、「村越先生、いったい南極で何研究するの?オリエンテーリング?」彼らだって、南極が自然科学研究の地であることは分かっている。

 

 「過酷な環境におけるリスクマネジメントの実践知の研究」。研究内容はもちろんだが、研究を職にする人間が、どう考えテーマを設定し、そのテーマにどう具体的に取り組んでいるかを伝えた。日頃、学生にとって僕は「先生」だが、この日ばかりは、生の研究者としての姿を伝えられたのかもしれない。

 

 その週末は、オリエンテーリング部の4年生が壮行会を開いてくれ、学生約15人が集まった。1990年代に熱心に顧問の仕事をしたが、静岡キャンパスでのオリエンテーリング活動が低調になるに連れ、部との関係が疎遠になっていた。そのせいばかりではないだろうが、2014年の春には、とうとう実質活動者が全くいない状態になってしまった。高校までの経験者がほぼゼロのオリエンテーリングで、在校生がいなくなったら復活するのは不可能に近い。浜松キャンパスの学生も手伝ってくれ、僕が構内にポスターを貼ったり、学生にビラを配ったりもした。単位でつることこそしなかったものの、「しこふんじゃった」を地で行く新勧期だった。それが功を奏して、静岡キャンパスには二人の新入生が入った。だが、高校まで経験のないオリエンテーリングで先輩がいなかったら、部として成り立たない。ウィークデーにオリエンテーリングを一緒にやるのは無理として、せめて週一回だけでもクラブらしいことを経験させてあげたい。11月から週一回、一緒に走ることにした。火曜日の夜18:30に研究室に二人が集まり、大学構内を走る。彼らは翌年度の初めに立派に新勧をやり遂げ、その後静岡キャンパスの学生数は20人近くに復活した。彼らに寄せ書きされた部のユニフォームをもらいながら、冬の夕方を3人だけで走った日々が思い出された。

 

 父が最後に越冬した15次隊(約45年前)は、今でも懇親会を開いている。7月に彼らの懇親会に呼ばれた。参加してみると、堅気の世界から戻ってきた「若」を迎えるかのようなまなざしで迎えられ、叱咤激励された。彼らも壮行会を計画してくれた。残念ながら連絡の不行き届きで参加することができなかったのだが、壮行会を開く、という趣旨だけで十分だった。

 

 どの壮行会にも本部主催の壮行会のような派手さはなかった。だが、どこでも感じるのは、送る人の南極への憧れと、そこに赴く知人がいるということへのワクワク感、そしてそこに参加する隊員への期待であった。改めて南極という地の持つストーリー性、そして南極観測が脈々と築きあげてきたブランド力を痛した。