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47.南極における人文社会科学の可能性

シドニー帰国直前に、しらせを望むカフェで昼食を摂る。一面オレンジだった船体の下部がねずみ色になっているのが、氷海との格闘を物語る。

 

 1956年にスタートして以来、南極観測は長い間自然科学の牙城だった。もちろんその中で南極の自然環境そのものを研究対象としない医学的研究も行われきた。また、人文社会科学とも言える臨床心理的研究も行われてきたが、生理状態に大きく依存する気分の研究が主だった。状況が変わったのは、つい2年前である。58次には法学者の柴田さんが同行者として参加した。柴田さんは国際法の専門家で、南極条約を専門テーマの一つとしてきた。その意味では、僕は南極観測に直接参加する二番目の人文社会系研究者だということになる。

 

 南極に研究対象があるのかと考えれば、自然を研究対象とする一定数の人間がいる限り、そこに人間が存在し、社会が存在する。つまり、人文社会科学の研究対象が存在することになる。問題はそこに研究上の価値があるかという点だ。私の研究テーマについては、すでにブログ39回で紹介した。南極地域には致命的なリスクがある。ブリザードもクレバスもハザードではあっても、人間がいなければリスクは発生しないから、リスクという概念自体、人間生活の挑戦的な営みの結果生じたとも言える。

 

 生き死には人にとって重大な事態だが、知識やスキルによってそれを制御することもできる。重大な事態が発生するリスクがあればあるほど知識やスキルの持つ意味は大きくなる。その意味で、南極観測はリスクに関する認知を研究する重要なフィールドだということができる。

 

 20~50日の船旅で行き来する南極は、日常とはかなり異なる環境である。1年間外部からの物理的援助を受けられない越冬隊ではなおさらである。特殊な環境での適応(あるいは不適応)は心理学的に見れば興味深いテーマである。これまで越冬(とその間に経験する極夜:太陽の出ない時期)の影響についての臨床的研究は海外も含めて数多く行われてきた。また最近ではむしろそのポジティブな側面、つまり過酷な体験を通した達成感や心理的な成長も研究テーマとなっている。大学で隣に研究室を構えているのが臨床心理の研究者で、ことあるごとに「南極にいいテーマがあるよ」と誘っている。

 

 南極での生活に満足したか?と聞かれると、正直なところ100%肯定できない。考え方にかなりバラエティーがある人々が限られたリソースの中で、しかも一定期間逃げることができずに生活しているのだから、当然のことだろう。満足できなかったということはそこに社会生活上の課題があるのだから、それ自体、社会心理学や社会学の研究テーマがごろごろしていることになる。閉じられた人間集団の中で人間関係にどんな課題が表れ、それがどう乗り越えられていくのだろうか。これは参与観察となる南極観測では実施が難しいテーマではあるけれど、興味あるテーマと言える。互いに見ず知らずの大人が出会ってから10ヶ月後には命も預ける可能性のある関係になるという点が社会学的にも興味深いだろう。

 

 暗黙の規範がどう発生するかというテーマも興味深い。現在の南極観測では、隊や昭和基地の運営に対して、隊次の自由度が大きい。その中で明示的なあるいは暗黙の規範が生まれるが、その背後にどのような思考があるかは倫理学的、あるいは法哲学的にみて興味深いのではないだろうか。たとえば、昭和基地にはブリザードに対する外出注意あるいは外出禁止という規則が発令される。これは基準となる風速なり視程が明記されている。その意味では明示的ルールなのだが、夏期間においては、不慣れな夏隊員が大勢いるという理由もあって、「お試し」的に、予めその風速・視程に達する以前に注意令が発令される。「お試し」で規則を実行することは明示化されていない暗黙の規範である。これを実施する隊長クラスなら、その暗黙の規範を了解しているかもしれない。一方で初めての隊員であれば、その運用をおかしいと思う可能性はあり(実際私はそう思ったし、越冬経験のある隊員から、「村越さんはどう思うのか?」と問われたこともある)、そうだとすれば、「この規則はかなりの程度隊長の裁量で恣意的に運用される規則なのだ」という暗黙の規範を推測してしまうかもしれない。こうした場面で運用者や被運用者がどう考えたかは、規範とその遵守を考えるよいフィールドになりえる。

 

 もちろん認知心理学的にも興味深い。隊員たちは、致死的でありながら日本では経験することがないため、名前すら知らないリスクに南極で直面することになる。半年という短い時間でそのリスクの性質や対応法を学習しなければならない。これは認知心理学に格好の研究フィールドを提供する。今回の安全学習では、海氷上の氷山のそばにできるウィンドスクープの写真を隊長が提示した。これはかなり分かりやすかった。ところが、その結果、基地の回りにウィンドスクープができるという認識がかなり抑制されてしまった。ウィンドスクープは本来は、強風によって、地面上の全ての突起物の風上側にできる可能性があるのだが、氷山のそばにできた写真を見ることで、「ウィンドスクープは氷山のそばにできる」という誤った一般化が行われたことになる。限られた事例による学習での誤った一般化は、認知心理学ではポピュラーなトピックである。

 

 南極観測はリスク管理という点でも曲がり角に来ていることは多くの関係者が認識を共有しているし、それに対して安全教育の改善の動きは私の研究テーマとは無関係に進められていた。リスクは心理的テーマとしては南極で扱うべきであり、扱い易いテーマの一つだろう。南極という自然環境と密接に関係しており、しかも他の地域にはない多くのリスクがある。しかも、それに対する人間の心理状態は、心理状態の中でも比較的ドライな領域であり、参与観察がしやすいというメリットがあったと思う(たとえば、心理的なストレスとその適応というテーマであれば、隊員からのデータ収集の際にそのストレスの内容が明らかになってしまうが、その中には同じ隊員である研究者にはあかしにくい人間関係上のストレスも多く含まれていると推測される)。こうしたトレンドに合致した幸運もあって、2019年に出発する第61次南極地域観測で、私が提案した萌芽研究「リスク対応の実践知の把握に基づくフィールド安全教育プログラムの開発」が採択された。これは日本の南極観測で初めて実施される正式な人文社会科学研究テーマとなる。

 

 私のささやかな挑戦が、人文社会科学の研究者がこれまでとは異なる視点で南極と南極観測を眺め、それによって日本の南極観測がより豊かなものになるマイルストーンになることを期待して、ひとまずこのブログの幕を閉じたい。