年越し

大晦日の日、荷馬車ならぬ雪上車に惹かれたそりに揺られてしらせに向かう
大晦日の日、荷馬車ならぬ雪上車に惹かれたそりに揺られてしらせに向かう

 昭和基地では、前の隊と新しい隊がともに居住する12月後半から1月いっぱいを夏期間と呼ぶ。夏隊は基本的にはこの期間だけ昭和基地などに滞在するのだが、その生活が過酷だという話は多くの人より聞いていた。何より、日ごろ自分で時間を管理することに慣れている大学の研究者にとって(最近ではそうでもないが)、日課が厳格に決まっており、体調が悪くても、天候が悪くてもその日課に従うことを余儀なくされる生活は精神的にも過酷だ。さらに夏期間の隊員の宿舎(通称「夏宿」)のうち僕の滞在した第二夏宿舎には水がなく、温水器があるのみである。小便は外!の仮設トイレだし、大は300mほど離れた第一夏宿舎にいかないとできない。さすがに居室は二段ベッドで暖房も効いているが、それ以外は山の避難小屋レベルの生活だ。

 

 ラングホブデ氷河から戻って5日ほど生活したところで、珍しく弱気になった。大晦日から元旦にかけてはしらせに戻れるのだが、その時が待ち遠しい。しらせにはトラックの荷台に乗せられ海岸まで行き、そこから雪上車のひくそりに乗せられてしらせに向かう。頭の中で「ドナドナ」が流れる。

 

 年越しの夜のしらせの食事は質素だが「年越しそば」。その後は隊員公室では焼肉パーティーが開かれていた。15時頃にしらせについた時にはぐったりして、一刻も早く寝たいと思っていたのだが、食事の前にしらせのトレーニングジムに行って1時間運動して復活した。どうやら運動不足や精神的な疲れだったようだ。

 

 冬訓練からのつきあいのSさんに誘いで公室の焼肉パーティーに行った。残念ながら行ったときには焼肉はもうなかったのだが、それ以上のご馳走が待っていた。去年58次隊の時から僕の研究のよき理解者だったHさんからは、「村越さんには二つのことをお願いしたい。もちろんひとつは今回の同行の成果をサイエンティフィックな論文にしてほしいということ。もうひとつは外部の人間として、いいことも悪いことも率直に報告してほしいということ」というエールをいただいた。高いリスクの中で活動が長年にわたるほど経験が蓄積されるというメリットがある反面、安全のためのルールは臨機応変になるというよりもむしろ硬直化しがちである。断片的には多くの人がそれを指摘するが、前例踏襲のルール以外に過酷な環境で人を守る代替案が見つけ出されていないことも事実だ。Hさんもそのことに問題意識を持っている。僕のささやかな研究がその代替案を見つけるひとつのきっかけになることを期待しているのだろう。

 

 ある調査チームでの研究計画遂行に関わる安全について深く関わった人が、いつのまにか僕とHさんの周りに集まっていた。Hさんは「それぞれどんなふうに思ったのか、その結果どうしたのかを、ぜひ村越さんに伝えてほしい」と熱弁をふるった。「僕は戦争をしたいとは思わないけど、それが日本の国の力を高めることにつながるから。」彼もまた、現代の日本におけるリスクの扱われ方とその課題、そしてその課題を解くことが科学だけでなく社会を強くする上で重要なことだと考えているのだろう。

 

 熱い会話の最中に新年へのカウントダウンが始まった、日本から遅れること6時間で昭和基地・しらせも2018年を迎えた。新しい年の前夜にふさわしい大御馳走に満たされた大晦日の夜だった。