28. 緊急特集密着取材!当直の仕事を通して昭和基地の夏生活を知る

ションポリの片付け:二つあるポリを一つにまとめた後はリアカーで汚水槽まで運ぶ。
ションポリの片付け:二つあるポリを一つにまとめた後はリアカーで汚水槽まで運ぶ。

 昭和基地には夏期間の間だけ、新しい越冬隊と夏隊によって人口が約3倍になる。彼らが入るのが二棟の夏宿舎である。昭和基地としてよく写真などにも出るのは管理棟+居住棟で、越冬隊員が生活している。こちらをスイス風シャレーとするなら、1夏は山小屋。2夏は水もない避難小屋というところか。

 

1、2合わせて夏宿舎には60人近い人が暮らすので、生活の維持にはそれなりに手間が掛かる。調理は調理担当の隊員としらせからの支援の調理員によってまかなわれ、最終的なごみの処理などは環境保全の隊員の仕事となるが、それ以外の雑多な仕事は交代で務める当直が請け負う。60人の生活を支える、それなりのボリュームのある汚れ仕事である。仕事は多岐にわたる。リスト化されているが、具体的な進め方までは完全に記述できないので、2人で1日づつずらして交代して引き継いでいく。

 

皿洗い。朝は使われる食器が少ないので余裕だが、昼食、夕食は慌ただしい。
皿洗い。朝は使われる食器が少ないので余裕だが、昼食、夕食は慌ただしい。

 朝最初の仕事は、朝食の皿洗いである。6:45に始まる朝食時間の最初にそそくさと食べ終え、皿洗いに入る。いつも朝食の遅い僕は、こんなにも朝食のおかずの品目があったのかと驚いた。食事の片付けの大変さはみなよく分かっている。お椀二つにご飯と味噌汁を盛って、おかずはご飯の上に載せる賄い飯スタイルで食べてくれるので、一人あたり2椀と箸を洗うだけである。拭き取りと拭き取った食器を所定の位置に戻すのは食べ終えた隊員が順番に手伝ってくれる。自分の食器を台所に出したら、拭き取り係になり、次の隊員が来たら交代する。機械的なルールなので、時には一枚も拭かずに「交代!」と要求されることもあるし、自分の後ろすぐに食べ終える人がいないとひたすら食器を拭き続ける羽目になる。

 

 

 

 台所回りの片付けをしているうちに、7:40から朝礼が始まる。ラジオ体操の後、各部署の仕事の紹介とKY(想定される危険と対応の報告)がある。建築や環境保全などの設営活動がメインだが、観測・研究の準備などが日々行われている。当直はそこで昼食のメニューを発表する。この時はなぜか拍手が起きる。作業現場では昼食は楽しみなのだ。僕が当直の日はなんと「松茸ご飯」。加えて魚と麻婆も付く。もちろん大拍手。

 

 その後1夏と2夏の掃除に1時間くらい掛かる。居室は居住者の義務なので、基本的には食堂とラウンジ、廊下を電気掃除機できれいにし、ごみをまとめる程度。1夏にはじめて入った時、外観のぼろさに比べて中が意外ときれいな印象をうけたが、それはこうやって維持されているのだ。

 

ションポリの片付け:これが2夏のションポリ。通常はここで用を足す。南極では雨はほとんど降らないし、室内は暖かいので、意外と苦にならなかった。二つあるポリを一つにまとめた後はリアカーで汚水槽まで運ぶ。
ションポリの片付け:これが2夏のションポリ。通常はここで用を足す。南極では雨はほとんど降らないし、室内は暖かいので、意外と苦にならなかった。二つあるポリを一つにまとめた後はリアカーで汚水槽まで運ぶ。

 メインイベントがションポリの片付け。ションボリではない。ション便のポリタンクの略「ションポリ」である。2夏には上下水がない。従ってトイレも屋内には緊急用しかなく、通常は小は屋外のトイレでする。下水がないので、出したものはポリタンクにたまる。これを1日に一回片付けるのが当直の重要な仕事である(写真参照)。ションポリをリヤカーで運ぶとしょんぼりな気分になる。通常は「上水」代わりの真水のポリタンクも運ぶのだが、この日は消費量が少なくてなし。ションポリとは一緒に運べないので、もしあれば二往復となる。ここまでやって午前中の仕事は終了。昼食まで1時間はフリーの時間となる。

 

 

 昼食も夕食も台所回りのルーティンは変わらないが、おかずの種類が増えるので、皿洗いはかなり大変になる。特に僕が当直をした初日はハンバーグにカレースープ、おまけに納豆がついていた。いずれも狭くて水を節約する必要のある1夏ではやっかいな洗い物である。当直を二日続けると、皿洗いの観点でメニューを評価するくせが付く。

 

 夕食後1930にミーティングがある。その司会と記録も当直の役割だ。隊長のお話はないことも多いが、時には担当者からの「お小言」もある。年齢も価値観も多様な大人が一緒に生活するのだ。リスクの過酷さも日本とは異なり、甘くみれば対応不可能なダメージにつながることもある。たとえば、昭和基地では屋外の行動ではヘルメット着用がルールだが、ヘルメットがなければ致命傷になりかねない事態も時々発生する。経験者ほどそのことを痛感しているので、敢えて嫌われ役になる。

 

夕食後にゴミを片付ける。内容は普通の家庭と大きくは変わらないが、やはり60人以上が生活しているので、50kgrにもなる(多分この日は段ボールがエキストラで出た分が大きい)。缶はしらせで日本に持ち帰る。そのままでは赤道通過時に腐敗するので、中を洗浄する。ここまでは飲んだ人の義務である。一応弁別されている洗浄後の缶を缶つぶし機でつぶす。可燃物、不燃物、プラ、段ボール、生ゴミ、アルミ缶、鉄缶に分かれたゴミを処理棟に運んで当直の仕事は終わる。

缶つぶし機で、アルミとスチールに分けた缶をつぶす
缶つぶし機で、アルミとスチールに分けた缶をつぶす
弁別したゴミは、処理棟に運ぶ。種類ごとに重量を量って、終了。
弁別したゴミは、処理棟に運ぶ。種類ごとに重量を量って、終了。
仕事の充実感で一日が終わる(初日に一緒に仕事をした「先輩」の渡邉さんと)
仕事の充実感で一日が終わる(初日に一緒に仕事をした「先輩」の渡邉さんと)

誕生日を迎えた若者をケーキとバースデーソングの斉唱で祝う。
誕生日を迎えた若者をケーキとバースデーソングの斉唱で祝う。

 昭和基地の生活の全貌を知ることのできる貴重な機会である。ささやかではあるが「社会貢献」の喜びもある。これまで、ほとんど言葉を交わしたことのない人ともしゃべるチャンスにもなる。仕事をすれば、「ああ、この人こんな人だったんだな」という理解も進む。

 

 二日目も同じルーティンが繰り返しとなるが、24日はサプライズがあった。誕生日の若者がいたのだ。夜のミーティングの「その他」の項で発表して、お祝いした。調理隊員がケーキを用意してくれた。

 

 

 

追伸:終わったと思った当直だが、ヘリによる野外調査がキャンセルになり、再度務めることになった。