39. 過酷な自然環境の中でのリスクマネジメントの実践知について

 自然の中では何があるか分からない、だからそれに備えよ!とよく言われる。この言葉は半分は合っているが半分は間違っている。山野に限れば山岳遭難統計から分かるのは、遭難原因(態様)は高々13に分類されており、その他は5%程度に過ぎない。しかも、上位6態様で85%くらいを占める。統計的には何が起こるかはちゃんと分かっているのだ。その一方で、ある遭難態様がいつどこで誰に起こるかは不確実だ。それは自然が十分管理されていない環境であることに由来する。突然横の斜面が崩れるかもしれない。また、変化の影響は想定外に拡大しやすい。都会なら突然の雪でも喫茶店に逃げ込めが済むかもしれないが、山では数時間の行動を余儀なくされる。変化に対応できなければ、生還はおぼつかない。

 

 こんな環境だから、リスクマネジメントが必要だ。一般にはリスクマネジメントは、リスクを特定し、それを分析・評価し、評価に応じて対策を採る(対策は回避だけとは限らない、低減、保有などもある)プロセスを意味する。そして多くの場合、分析・評価は損害×確率で行われる。この考え方は自然の中でのリスクマネジメントにも適用できるが、十分ではない。なぜなら、自然の中でのリスクの多くは高損害×低確率である(たとえば落石は当たったら致命的だが、そうそう起こらない。遭難の1%としても年間30件。これは国民の延べ登山回数約4000万回に比べたら100万分の1程度である)。管理の程度の低い場所では高損害×低確率のリスクに対してできることは少ない(それをすれば自然が自然でなくなる)。保有(そのままにする)、あるいは共有(保険をかける)が一般的な対応方法だが、これでは個人にとって何もしないに等しい。経済的な損害であれば確率×損害でリスクを評価してもよい。なぜなら、失ったらまたのチャンスに投資できるからだ。だが、自然の中の自分の命であればそうはいかない。一方で、自然の中のリスクは状況(天候、自分の体調・・・)など多くの要因に規定されており、その情報を得ることができる(天気予報を聞く、自分の体調に敏感になる)。それによってリスクの変化に対して適切に対応できる可能性がある。

 

 そのようなリスクマネジメントの方法は、自然の中に入るエキスパートなら誰もが身につけていることだろう。その一部は山の啓発書にも書かれているが、微妙な判断については、文書化されていない(興味ある方は拙著「山のリスクと向き合うために」(東京新聞)等をご参照ください。58次越冬隊長は(暇だったのかもしれないが)3回読み直したという)。このような知識を認知心理学の言葉で実践知と呼ぶ。エキスパートの頭や体に染み付いた実践知を明らかにすることは、自然の中で活動する人たちの安全に資するのではないだろうか。今回の研究で主たる対象としたのは、フィールド科学の学徒だが、彼らだけでなく、僕が普段関わっているアウトドアスポーツの活動者にも役立つものになる可能性がある。それが、今回の南極地域観測に同行した最大の理由である。 

 

 過酷な自然環境とそれに対するリスクマネジメントは南極に限らないが、南極地域観測は、この研究テーマに対して理想的な環境を提供してくれた。第一に、過酷な自然(活動)環境であること。これについては多くの説明の必要はないだろう。もちろん今回参加したのは、今年の日本の冬よりも暖かい南極の夏期間ではあった。だが、強風や変化の激しい天気、限られた輸送とサポート資源など、リスクを高める要因は多い。さらに南極地域観測が個人のリスク研究に適しているのは、ここでしか経験できない特異なリスクがあり(たとえばタイドクラック、ウィンドスクープなど、最初の集合時には未経験者の約半数が言葉さえ知らないと答える)、しかも初参加の隊員は、それについてたった1~2年という短期間で高い動機づけを持って学習する。しかも、内省力の高い人を多く含み、往復のしらせという相当期間の共同生活の中で、本来であれば超忙しい彼らに比較的容易に調査対象を依頼できる。南極は環境心理学にとって天然の実験室である、と言った研究者がいたが、リスク認知についてもこのことが言える。

 

 帰路のしらせで概略の分析をした段階なので、成果の詳細は控えるが、特に野外活動の安全管理を行うフィールドアシスタント隊員からの聞き取りをベースに、リスクの兆候以前の防御的な対応と、オンサイト(現場)の情報を積極的に活用した対応の大きく二つの柱からなる実践知の構造把握ができた。しかも、これは対応するリスクの変動性、致死性や制御性に対応していた。もう一つのテーマとして、同じリスク源を見てもリスクの評価が異なること(これ自体は珍しいことではないが)、それが様々な経験と科学的バックグラウンドによって説明できる資料を得ることができた。多くの場合リスクは潜在的である。しかし、知識の有無によって潜在性は異なる。それを解明する手がかりが得られた。

 

 研究成果は、過酷な自然環境下で活動する科学者、働き手、あるいはアウトドアスポーツの参加者に役立つだろう。だが、使い道はそれだけではない。自然災害が起これば、環境の管理の程度は低下し、リスクの変動性が高まる。あるいは倫理的行動的な問題から、本来安全が管理されているはずの都市環境でも突然リスクの変動性が高まることがある(簡単な例でいれば、信号無視の車がいれば、青信号の横断歩道のリスクは激変する)。過酷な自然環境の中でのリスクマネジメントの実践知を学ぶことは、こうした事態に対しても対応しうるタフな市民形成にも役立つのではないだろうか。

 

 24回の「年越し」でも触れたが、「国を強くする」というと、どうしてもきな臭さがただよう。だが、個人の自律と幸福の集積の結果として国が強靭になることは決して悪いことではないと思う。そうだ。これは二十歳のとき始めてスイスにオリエンテーリングで遠征して、スイスに対して漠然と感じたことだったのかもしれない。