26.リスクパニック

アメリカで発生した9.11同時多発テロによって飛行機から車への移動手段の移行が発生し、その傾向は約1年間続いた。自動車交通の増加により、路上での事故死は2001年9月以降増加し、2002年の9月に通常レベルに戻った。リスク研究者のギーガレンザーは、これらの事実から、飛行機から車に乗り換えることで直接的に増加した死亡数を推定した。

 

 その数は驚くべきことに1595人であった。同時多発テロ全体による死亡数約3000人の半数を超えている。飛行機搭乗者の犠牲者に限れば265であるからその6倍近くになる。もともと、自動車交通の単位移動距離あたりの死亡率は飛行機よりもはるかに高いのだから、これは当然の帰結ともいえる。このように、あるリスクを避けようとして別のリスクを高めてしまうような集団行動が発生することをリスクパニックという。

 

 もちろん、リスクは常に不確実性を伴うから、損害が増えたというのは後付け的な解釈かもしれない。もし飛行機の利用者が減らなかったら、新たなテロが誘発された可能性もあるかもしれない。しかし、ある種のリスクが顕在化するとそのリスクの排除に目が奪われるのが人間の特性なので、リスクパニックはなかなかなくならない。コロナウイルスによって学校の休校やイベントの自粛要請が広がっている。中には、そんなに感染リスクがないのではないかと思われる小さな研修会なども軒並み中止となっている。これらはリスクパニックではないのだろうか。判断はなかなか難しい。

 

 第62次南極観測隊の初めての行事となる冬期総合訓練も、前日の21時まで最終的な開催が決まらないという特殊な事態で行われた。つまりは中止も視野に入れられていたということなのだろう。独立法人とは言え、国の機関である。首相の要請をないがしろにはできない。

 

 一方で、雪上での経験のない隊員もいる中でこの行事を中止すれば、雪上経験が全くない中で南極大陸に足を踏み入れる隊員も発生することだろう。それが、本当にリスクを高めるかは実験ができない以上、検証のしようがない。だが、常識的に考えれば、それは相当なリスク増だろう。しかも人命にかかわる。行事に明確な意義とリスク抑制効果があれば、かたや「健康と安全」を理由に自粛要請が出ても、冷静にリスクを比較考量しやすい。改めて行事の意義を再確認することになったとしたら、それも意義のないことではないだろう。

 

 南極の観測では、常にリスクと得られる成果の綱引きが行われる。探検をしに行っている訳ではないので、安全第一。リスクのある場ではあるが、安全マージンを十分にとって行われている。それでも、現場では常に状況は揺れ動いており、予期せぬリスクの高まりがあることもあれば、予想以上の研究成果が目前に現れることもある。この時、ベネフィットとリスクのバランスをどう取るかは現場判断になる、難しい問題だ。

 

 安全管理を担当するフィールドアシスタント(FA)は、常にこのことを葛藤している。あるFAは安全に関する指示に従ってもらえないのはまずいと考えているし、別のFAは「「時間がないから(リスクが増すので)やめましょう」とは言わないようにしていた」という。またあるFAは「安全安全いいすぎた」と述懐する。見かけ上ことなる考え方を示しながらも、彼らは、それぞれが考えたぎりぎりのところでどう研究を支えるかを現場で常に考えている。前回紹介したプレスリリース対象となった論文、「過酷な自然環境におけるリスクマネジメントの実践知」では、その点にも考えを巡らせた。

(以下のURLで一般向け概要が公表https://www.nipr.ac.jp/info/notice/20200228.html)

 コロナウイルスそのもののリスクに目が奪われがちな今、あることをやめたらどんなリスクがあるか?それを多面的に理解することが重要だ。