29.観測隊員名簿の公表

 南極観測隊員の公表は6月と9月に行われる。僕は健康診断でひっかかって再検査だったので、6月の名簿には載らなかった。当時の総務係長には「先生、大丈夫ですか・・・」と心配されたものだ。最終的にいけるならまだしも、冬の訓練に来ていながら、結果的にいけなくなる人もいる。

 

 コロナ禍で、観測隊の方針も立たなかった今年6月の名簿はスカスカだった。それが9月になって埋められたが、例年の約半数の長さしかない。今年は、夏の研究観測がほぼ全てキャンセルになったのだ。3月に行われた冬訓練の時にいたあの人も、同じ班で雪の中一緒に活動した彼女も名前がない。もっとも、僕も他人から見れば、同じように思われているのだろう。プロの研究者の多くは、来年チャンスが与えられる。だが、中にはワンチャンスの修士の学生もいる。やりたいことに脚を踏み入れて、結局だめになった無念さは想像に余りある。

 

 とにかく南極には人道上の理由でいかなければならない。そこには1年間過酷な環境で過ごした越冬隊員がいるのだから。食料や燃料で困窮することはないにしても、2年間の越冬生活は多大な精神的ダメージをもたらし兼ねない。また、一旦基地を閉鎖すれば、60余年に渡る定常観測のデータが途切れる。越冬を成立させ、基地を維持し続ける。それが南極観測の至上命題である。しかも、越冬隊の人数は現在30人ほどと基地の維持にはぎりぎりである。越冬隊はほぼそのまま、夏隊は国土地理院や海上保安庁といった定常観測以外はほぼキャンセルされる。

 

 人数を絞っても、観測隊と自衛艦の過酷さは変わらない。「史上最悪の旅」ではないにしろ、例年よりは過酷な旅程になるだろう。通常、砕氷船であるしらせが11月半ばに日本を発ち、オーストラリアのパース(正確には外港であるフリマントル)に寄港する。観測隊は11月末に空路オーストラリア入りをして、フリマントルでしらせに乗船する。コロナ禍の今年、もちろん、オーストラリアに入港することはできない。従って、しらせは日本を出発すると一路南極に向かう。その間約4週間。しかも出港前2週間は隔離期間である。しらせにいたっては11月4日から隔離期間に入る(乗組員は上陸禁止)。日本を出発し帰国するまでの約4ヶ月弱、南極を除く陸に上がることのない過酷な航海となる。

 

 越冬隊員なのに、冬訓練で同室だったのあの人の名前もない。彼は親子揃っての越冬という初めての隊員となるはずだった。彼はどんな思いで、この夏を過ごしたのだろうか。