45.帰ってきて思うこと

 1996年の2月に、スキーオリエンテーリングの世界選手権のためにノルウェーに行かなければならなかった。その年は日本も寒い冬で、すでに11月後半にはしもやけになっていた僕は、ノルウェーにいったらいったいどんなひどいことになるのか、想像さえできなかった。実際にはどうだったか?しもやけが治って帰ってきた。

 よく考えてみれば、不思議なことでもなんでもない。外気はマイナス20度になることもあるが、外にでる時は厚着をするし、手袋もする。それにスポーツする時以外に長い時間外に出ることはない。室内は、概ね20度以上に保たれ、寒いと感じることはない。その教訓から、しもやけは室温が低いためになるのだということに気づき、それから冬にしもやけに悩まされることはかなり少なくなった。

 この経験は今回も繰り返された。さすがに標高1000mを超えるボツヌーテンのキャンプで、ワープロを打つのはさすがにキツかった。でも、昭和基地でも、しらせでも寒いと感じたことはほとんどなかった。「まじかよ」と思っていた第二夏宿の外でのトイレも、熱くなった頭を冷やすちょうどよい時間とさえ思えた。だいたい、僕らがいた12月末から1月の南極は夏なのだ。

 翻って日本は寒い。南極では感じることができなかった「薄ら寒さ」という形容が一番しっくりくる。手袋をせずに外を歩いていると、しもやけの前駆症状であるかゆみを感じる。湯船に浸かりたいと思う。昭和基地やしらせではなかった欲求だ。越冬隊員に「日本に帰ったらしたいことは何?」と聞くと、「温泉に入る」が圧倒的に多かった。風呂好きでもない僕は、聞いた時には共感しなかったが、日本に帰ってくると、風呂に入りたいという感覚は理解できる。南極ではジョギングして汗をかいても、着乾かしして、そのまま寝てしまうことも何度もあった。湿度が低いから不快にも思わないのだ。そうやって考えると、日本の方が南極よりも過酷な環境かもしれない。

 もちろん、たいていのことは南極の方が遙かに過酷だ。日本では、手元にないものがあってもお金があれば買える。車がスムースに動き、快適だ(南極では舗装がされておらず整地も十分でないので、車に乗るのは苦行に近い)。静かな音のしない環境で眠れる(昭和基地は静かだったがしらせの50日間、常に船の動力音が聞こえ、数時間に一回地下の船倉のドアを開けて見回りする音が聞こえる)。食器を下膳するときに、バケツで下洗いしなくてよい(昭和でもしらせでも水が貴重なので、まず自分でためおかれているバケツの水で洗う)。日本にいたら当たり前のことが、インフラや環境を整える努力によって得られていることに、南極から帰ってきて改めて気づく。

これはしらせの船内だが、自分の食器はこうやってバケツで下洗いをしてから下膳する。