30. ソフトインフラ

地理院の支援で行ったインステクレパネにて。右が高村さん。
地理院の支援で行ったインステクレパネにて。右が高村さん。

 阪神淡路大震災や東日本大震災時で日常生活を支えるライフラインが途絶すると、普段の生活がそれらに如何に依存したものかを思い知らされる。ガスや水道、電気がなければ、数日間の生活さえ困難になる。そんな環境でアウトドア用品が役立つことが指摘されたが、山岳ガイドやアウトドア関係者も、被災地の支援やその基盤づくりに活躍した。今回59次隊に参加した山岳ガイドの高村さんもその一人だった。「(ガイドとして)こんな活動の仕方もあるのだな」と気づいた高村さんは、その後フィリピンの水害に対する医療関係者を支援したりもした。その延長線上に、今回の南極観測隊参加があるという。

 

 南極観測隊には大きく分けて観測と設営部門がある。設営部門とは過酷な自然環境の中での観測の仕事の基盤を作ったり維持したりする活動であり、27.で紹介した建築もそのひとつだ。だが、観測の現場は昭和基地ばかりではない。越冬中の野外調査に出向くには、オングル島から海氷の上をスノーモビルや雪上車で渡っていかなければならない。海氷は、冬になれば基本的には堅固だが、潮汐によってできるクラックがあり、落ちれば大惨事を招く。あるいは大陸に上がれば、氷床の縁にはクレバスが発達し、そこを避けたり、もしもの場合のリスク管理、対応スキルが求められる。クレバスでは複数の惨事が発生している。さすがにそこに橋をかけたり、堅固は舗装道路を作ることはできないから、一回一回安全なルートを探し、旗ざおなどでマーキングするというスキルが必要になる。

 

 夏期間には、昭和基地周辺の露岩地帯では多くの野外調査活動が行われる。それらの重要な拠点には、基地とはいえないまでも、小屋が設置されている。水道やトイレの設備も簡易だから、日本の山の基準で言えば、小さな避難小屋といった趣であるが、それでも恒常的な建物がある安心感はある。一方で、こうした小屋さえない場所での調査活動もある。何度か同行した地理院なども、基準点設置や維持は広範囲に行われる。しかもGPS測量は日帰ではできないから、活動場所はテント泊となる。そこでも、生活を維持し、時には過酷な天候に耐えるスキルも必要になる。

 

 これらは必ずしも生死に関わるレベルではないが、ハードな登山などの経験の全くない大学院生や若い研究者も増えてきたことから、自然の中での活動の準備の支援をする観測隊員であるフィールドアシスタント(略称FA)が、位置づけられるようになった。過去には山岳記事に執筆で有名な阿部幹雄さんやプロスキーヤーの佐々木大輔さんなどもFAとして参加し、観測隊の活動を手助けした。

 

 できるだけリスクの高い野外調査に同行したかった僕は南極滞在中の冒頭に氷河掘削チーム(26.参照)に約1週間お世話になった。彼らは、これまで日本の南極観測で大きな事故につながっているクレバスがある場所での活動をするだけに、今次の活動の中でもリスクの高い調査であり、FAの支援を必要としていた。結果的にも高村さんと一緒に活動する長い時間を得ることになった。

 

 高村さんは、クレバスがあるかもしれない氷河での活動を支援するだけでなく、時には観測活動で疲れきった氷河掘削チームに、限られた炊事道具と食料で滋味豊かな「お袋の味」を提供した。あるいは、調査終了後の3t近い調査用具の輸送の問題解決に対しても、文字通り奔走した。

 

 過酷で手付かずの自然の中での調査や生活、そして生命を守るスペシャリスト、それがFAなのだが、それは山岳ガイドのコア・コンピテンシーでもあるのではないか?それが、テント生活の夜に高村さんと何度となく議論をした結論でもあった。国家資格化を目指している山岳ガイドの職業としての確立は厳しいものがある。過酷な自然の中で生活と生命を守るという山岳ガイドのコア・コンピテンシーは、その職業としての確立に寄与すると同時に、職業としての地位を高めるのに貢献するのではないだろうか。