9. アナログ

 例年観測隊の夏隊の調査研究期間は40日。ところが、今年の61次の夏隊は約2週間短く、たった25日しか昭和基地にいられない。その最大の理由がトッテン氷河周辺の観測である。なぜそんなに大事なのか?現在、3つある南極観測の重点テーマの一つが、「海洋と南極氷床の相互作用の研究」だという。そう言われても、素人の私にはよく分からない。研究を総括する田村さんが、「人類を救う研究」とキャッチーな言葉でプレゼンしてくれた。なんだか凄そう、と思うが、やはりそれを聞いただけでは皆目見当がつかない。

 

 ストーリーはこういうことだ(素人理解なので、科学的には不正確な部分があるかもしれません。ご容赦を)。地球温暖化の影響はいろいろなところに表れるが、その最たるものが海水面の上昇である。地球上で淡水を最大に蓄えているのは南極で、これが全部融ければ海水面が50-60m上昇する。当然沿岸部の土地は大打撃を受ける。気候変動も発生するだろう。人類の生存にとっての大問題である。

 

 海水面の上昇の問題に対応のためには、南極の氷がどう融けているかを把握することが欠かせない。TV等では氷河の末端が豪快に崩れている映像が温暖化の影響の象徴としてよく流される。これはカービングという呼ばれる現象だが、近年の研究では、カービングによる氷床の流出は、南極の氷床の融解量の50%以下だという。ではどこで融けているのか、それが(氷河の)底面融解だという。

 

 南極の氷河は、最後に海の上に舌のように張り出す。その底面には海水が接しているので、そこで相当量の氷が融けているらしい。59次隊で私が参加したラングホブデ氷河掘削チームは、その研究の一環であった。改めて、自分が人類生存戦略に不可欠な情報を得るための調査に参加したと思うと嬉しくなった。

 

 目標は人類生存戦略のための情報収集だが、やっていることは文字通り泥臭い。氷床掘削チームは、昭和基地からそう遠くないラングホブデ氷河上で活動していた。氷河の上で深さ250-400m直径40cm程度の穴を最大5つ掘った。重機や掘削機械を持ち込めない南極氷河上での掘削の道具は熱水である。80度の熱水を流す消防ホースのようなものを氷に突っ立てる。それで少しづつ融かしながら400mの深さの穴を掘るという気の遠くなるような作業である。実際、400mの穴を掘る時には朝から晩まで掛かる。放置すると穴が氷結してしまう可能性があるから、連続して測器を下ろして観測結果を得る。終了のころには夜になってしまう(全然明るいが)。

 

 掘削パイプを下ろしている時は、直接作業に関わるのは2~3人程度だから、かなり暇である。天気がいい時は遠足気分だ。しかも、束ねてある熱水のゴムパイプは床暖房のようだ。ぽかぽかした太陽の下で氷河の絶景を眺めながらうとうとするのは至福の時である。カップラーメンがうまい。

 

 掘削パイプはさすがにウィンチを使ってスピードをコントロールしながら下ろすのだが、引き上げは手作業だ。また測器もワイヤーを使って引き上げるが、ワイヤーが絡むのを避けるために、巻き上げるのではなく、氷河上を歩いて引っ張っていく。一人でワイヤーを引きながら測器を引き上げいると、頭の中で「ボルガの舟歌」がこだまする。

 

 海底の泥や水を採取するために採集器を海底に着底させ、それにメッセンジャーで、採掘した泥を確保する司令を送る。「メッセンジャーという大層な名前がついているけど、重りを落としてバネ仕掛けで動かすだけなんですけどね」と主任研究者の杉山さんが教えてくれた。このような簡易な機構故に、バネがうまく作動せず、引き上げてみたら、泥が全て途中で抜け落ちていたという経験が何度かあった。再度ボルガの舟歌である。

 

 地球の姿を知りたい!という先端科学の壮大な目標のためにやっていることは限りなく地味でアナログ的だ。そのギャップが地学の魅力の一つなのだろう。理論物理学のように少数の突出した知性が成果を挙げるのではなく、多くの研究者が地道に個別的なデータを収集することで、はじめて複雑な地球の姿が明らかになっていくのだ。

 

 次回はJAMSTECの向こうを張ったJAREの掘削船「せんかい10」の話題。