観測隊参加不可の結果を通知されてからは怒濤の一週間だった。8/11に振り返って、まだあの日からたったの4日間しか経っていないことが驚きだった。8/7、あるいは自分が南極で越冬するということで全てが進んでいる日々はもう遙か昔のことに思える。あれは幻だっただろうか?...
健康診断の結果が、実は8月上旬に伝えられていたのだが、9月上旬になってようやく正式な通知がきた。8月に伝達を受ける時、直接会ってお伝えしますからと言われたのだから、いい知らせの訳がない。案の定、越冬はおろか夏隊参加も叶わずという結果となった。...
「村越さん、61次参加されるんですよね。期待しています」と、地学の研究主任の菅沼さんから声を掛けられた。湖沼にボートを浮かべる観測をするという。門外漢の僕には今ひとつピンとこなかった。湖沼だったら気水圏の研究?
例年観測隊の夏隊の調査研究期間は40日。ところが、今年の61次の夏隊は約2週間短く、たった25日しか昭和基地にいられない。その最大の理由がトッテン氷河周辺の観測である。なぜそんなに大事なのか?現在、3つある南極観測の重点テーマの一つが、「海洋と南極氷床の相互作用の研究」だという。そう言われても、素人の私にはよく分からない。
2017年、同行者としての南極行きが半月後に迫った11月半ば、事務の方から連絡があった。なんでも、私の南極行きが記事になった新聞を見て、送りたいものがあると言う年配の女性からの連絡があったとか。連絡先を伝えてもらうことにした。...
あなたにとって、心ときめく素敵なリスクはありますか?FBで投げかけたら、かつて指導学生だったスケーターが、「なんだろう?」と問い返してきた。「クロスステップでアウトエッジに乗る感覚」と答えたら、なるほど!?と反応してきた。  スケートを少しかじった時、最初はハの字で滑っていた。スピードを出して滑るためには、インの足の外側のエッジに一瞬乗る必要がある。スキーでもそうだが、これがバランスを崩しそうで結構怖い。でも、その時の身体のバランスをコントロールできるようになると、その一瞬の不安定感と、それを乗り超えた時のスピード感が堪らなく気持ちよい。スケーターの彼女から問い返されることで、私自身の素敵なリスクが明確になった。
 第一次隊の隊長西堀栄三郎さんは南極に行ったときには50歳代の半ばだった。父が観測隊長だったのは50歳の時。自分が60歳目前で南極にいくことになるとは思わなかった。かつては、隊員の条件として「概ね50歳まで」というのがあったらしい。それはなんとなく知っていたので、最初に南極に行きたいと思った時には、まず年齢的にいけるのかどうかというのが気になった。  「元気だったらいいんですよ」と、国立登山研修所の所長に言われて(現在も冬期訓練には講師を派遣している)、まあ大丈夫なのだろうとは思ったが、年齢の限界というのは常に気になっていた。今回越冬中に還暦を迎える私は、さすがに今回最高齢だ。ただし、残念ながら南極での還暦は初ケースではないらしい。しかも日本の高齢化に伴い観測隊も高齢化している。50歳を超える隊員は沢山いて、今回は55歳を超える越冬隊員も3人いるようだ。  54歳の「準会員」も加えて、「お達者クラブ」を結成。皆さん越冬経験者ばかりで、私は最年長ではあるが、南極に関しては青二才だ。
 健診の舞台は代々木病院・泌尿器科から静岡・循環器に移った。指導学生の親族が循環器の専門医だというので、一応評判を聞いて、A病院にいくことにした。再度エコー検査をして診察を受けたが、やはりよくわからないので、造影剤を使って静脈の評価をしようということになった。
 「上げ膳、据え膳」になった今回も、健康診断でもたもたしている。2月の健診の結果、尿潜血でひっかかってしまったのだ。4月に再度尿検査をするという羽目に陥ってしまった。その時点ではある程度楽観視していた。だが、UTMFの安全管理でホテルに缶詰になっていた時、その結果が戻ってきた。やはりひっかかってしまった。...
4月9日、しらせが59次越冬隊と60次夏隊を連れて帰国した。4/10は明治記念館で恒例の帰国報告会・歓迎会が開催された。数々の成果が得られたことが報告のハンドアウトに掲載されている。

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